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テレビに耳ありラジオに目あり

テレビ/ラジオを自由気ままに楽しむためのレビュー・感想おもちゃ箱、あるいは思考遊戯場

2021/5/15(土)のラジオ聴取日記

土曜ラジオ

【聴いた番組】
『三四郎のオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)
『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』(ABS秋田放送)
『チョコレートプラネットの東京遊泳』(文化放送)

三四郎はこの日もいい意味で行き当たりばったりの、先の読めないフリートーク展開が炸裂。

相田は雨の音が好き→雨の音は天麩羅に似てる→天麩羅で何を揚げているか当てるゲーム開始→別件でニシキヘビ脱走のニュース→それを受けてニシキヘビを捕まえられるかゲーム開始→いろいろな邪魔が入り、なかなか捕まえることができない相田→ここでなぜか天麩羅で揚げられている最中のエビが寄ってくる音(伏線の回収?)→そしてコーナーを挟んで最終版にスタッフが音源をかけ、それが雨の音か天麩羅を揚げている音かを判定→雨と天麩羅の音は思いのほか似てた!

うろ覚えなので正確ではないかもしれないが、なんという無意味で複雑怪奇な、しかし一本の糸でギリギリつながったスリリングかつマジカルなトーク展開だろうか。

まるで純文学作家・後藤明生が言うところの、目の前に曲がり角が見えたら必ず曲がってしまうアミダクジ式文体である。
話が脇へ脇へとそれても、誰も話を戻そうとはせず暗闇の中をひたすら突き進む。
本題など端から不要とばかりに。
そしてその過程さえ面白ければ、本題など本当に不要なのだと思い知らされる。

『タダバカ』はなぜかこの日はTBSラジオでの放送がなく、いわゆる裏送りなのでラジコプレミアムで秋田を選んで聴いた。

放送開始の3:00少し前からチャンネルを合わせると、普通に『オードリーのオールナイトニッポン』が流れてきて違和感を感じるが、ニッポン放送とTBSの番組が地方では同じ局で放送されているのはラジオあるある。

と、そこまではいいのだが、そのオードリーのラストに待ち受けるその日のハイライト的なパートが、突如途中でフェードアウトして、これも地方局あるあるだが謎の曲が1分ほど流れ続けるという事態に。

ハイライトとはいえまだ番組中であるのに、しかもCMならまだしも、何の意味もない、誰のものともわからないインストゥルメンタルが、番組をカットしてまで流れるこの時間がなぜ必要なのか、おそらくそういう慣習なのだろうが、実に不可思議な時間が流れた。

ニッポン放送の制作者サイドは、こういう切られかたをしていることを果たして承知しているのだろうか?
あるいはあくまでもニッポン放送がオリジナルであるので、それを尊重するために地方局はフル尺で流してはいけない、といった契約でもあるのだろうか……?

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2021/5/14(金)のラジオ聴取日記

金曜ラジオ

【聴いた番組】
『中川家 ザ・ラジオショー』(ニッポン放送)
『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)
『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)

『ラジオショー』はとろサーモンがゲスト。
久保田の夜のバイト時代の話が、ほぼ『ハードボイルドグルメリポート』レベルの際どさで面白い。
しかしその根底にある動機が、「結果を出して褒められるのが初めてだったから」というのが切なく、実は話の肝だったかもしれない。

伯山ラジオは、ドラマ出演の依頼を、マネージャーである奥様の「濡れ場NG」判断により断らざるを得なかった、という話。
終始、「自分がいかに美人女優との濡れ場をやりたかったか」という願望を、手を変え品を変え表明してるだけなんだけど、これが言えば言うほど面白くなっていくのがこの人の凄さ。

感情が高ぶったここぞというところで、声を割れんばかりに張り上げる箇所の的確さと思いきりの良さ。その見極めのセンス。

そういった要素が講談により培われた技術なのか、あるいは本能の叫びなのか、聴いていて区別できないほどにまで高められているから、笑わせにかかる場面でどんなに声を張り上げても嫌味やあざとさを感じない。

この「あざとさが見えるか見えないか」は、ラジオのフリートークにおいて案外重要な一点であるように思う。

だからといって見えなければ良い、というものでもなくて、見えそうで見えないくらいが良い。ような気がする。
いや、見えるならいっそ見えすぎてしまえば、それはそれで面白いか。

2021/5/13(木)のラジオ聴取日記

木曜ラジオ

【聴いた番組】
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)
『キョートリアル! コンニチ的チュートリアル』(KBS京都ラジオ)
『アッパレやってまーす!(水曜日)』(MBSラジオ)

佐久間PのANN0はドラマで関わりのあるジェーン・スーがゲスト。

『あちこちオードリー』の出演者に話を聴くと、売れている人はみんなエゴサーチをしているという話が興味深い。
そしてジェーン・スーは、もうひとつのプロモーターとしての人格が、客観的視点からジェーン・スーのエゴサーチをしているという。
まるで商品を製作するメーカーが、カスタマーの意見を取り入れて商品を改善していくように。

「自分の容姿に関するディスが増えると、思っていたよりも広範囲に届いていると判断する」
というのは、まさにその通りだと思う。
売れるというのは、射程圏外にまで、つまりは本来自分を好きになるはずでない人にまで届いているということだから。

そしてこの事実を客観的に受け止められる人は、やはり人生相談に向いている。