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『アインシュタインのヒラメキラジオ』~追い込まれた先に煌めくヒラメキのプロセス~

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見た目に恐ろしくインパクトのあるコンビが、顔の見えないラジオでその本領を発揮している。こんなに痛快なことはない。そのねじれた状況が、すでに丸ごと面白い。「ねじれ」とは「笑い」であり、「笑い」とは「ねじれ」である。

この四月からはじまった『アインシュタインのヒラメキラジオ』(KBS京都)が、とにかく面白い。近年はじまったラジオ番組の中では、間違えなく随一の番組であると言い切れる。当初は三時間、この十月からは二時間半と、それでも充分に長尺の番組だが、ずっと聴いていられるどころか、毎度もっと聴いていたいと願う。むろんその願いは叶わないわけだが。

しかしそれは、僕がもともとアインシュタインの熱狂的なファンだから、というわけではない。もちろんアインシュタインというコンビを認識してはいたし、テレビでネタを観たこともあったが、正直ここまでのポテンシャルを感じてはいなかった。むしろその真の魅力に気づくのが遅れて申し訳なかった、という懺悔の気持ちすら芽生えている。

そもそものきっかけは、以前『日刊サイゾー』に連載していたラジオコラムで紹介したこともある『TENGA茶屋』(エフエム大阪)という番組だった。

この番組はケンドーコバヤシがパーソナリティを務める番組で、当初は女性アシスタントとの二人体制で番組が進められていた。その時点ですでに面白い番組ではあったのだが、その後、アシスタントがアインシュタインに交替したことにより、笑いの質が明確に底上げされたのを憶えている。いまはさらにアシスタントとして紗倉まなが加わり、頻繁に召還される稀代のトリックスター・TENGA社松浦氏の活躍もあって、他に類を見ない怪番組となっている。

『TENGA茶屋』の中でも、アインシュタイン河井の言語能力の高さと、稲田のイジられっぷりは大いに発揮されていた。前者は同じくワードセンスの権化であるケンコバと互いの言葉を引き出しあい、後者はまさにそのケンコバの容赦なき比喩表現により、その稀有なルックスを首がもげるほどイジられている(ケンコバによれば、稲田が今のようなルックスになった原因は、「先祖が七つの大罪を犯した罰」であり、「先祖が仏像をドアストッパーに使っていた報い」と定義されている)。

だがそのいずれも、やはりケンドーコバヤシという最高品質の「触媒」があってこそ成立する化学反応であって、アインシュタインの二人だけでどこまでやれるのか、というのは未知数であった。

そのような状況下で、といっても『TENGA茶屋』リスナーである僕が勝手に設定した状況に過ぎないのかもしれないが、そんな期待と不安がないまぜになった状況でこの四月にはじまったのがこの『ヒラメキラジオ』である。

当初は、番組開始時間が18時と浅いこと、そして女性アナウンサーがアシスタントとしてついていることから、お笑い的にはかなりぬるい放送になるのではないかと危惧していた。しかしそれらはいずれも杞憂だった。特に後者に関しては、むしろ強力な武器ですらあった。

アインシュタイン稲田のルックスは、一種の劇薬である。的確に使えば有効な大爆発(爆笑)を引き起こすが、間違った使い方をすると事故(客が引く)が起こる。そしてそのイジり方の見本を示してみせたのが、まさに『TENGA茶屋』におけるケンコバであった。彼が手加減なしに真正面からその顔面をイジり倒すことで、そのデフォルメの効いた顔面は鮮やかにファンタジーへと昇華される。

そしてそれは、危険水域を見極めることのできるケンコバにしかなし得ない、ある種特別な領域であるように思われた。しかしその立入禁止区域寸前にまで伸びる稲田の「イジりしろ」を的確に見極める男が、もうひとりいたのを忘れていた。相方の河井ゆずるである。当然のことなのだが、彼こそが、もっとも稲田の顔面と真正面から向きあい続けてきた人間なのである。

そして彼にもケンコバと同様、飛び抜けた言語感覚と比喩能力がある。稲田とは正反対のイケメンとして人気を博す彼ではあるが、けっしてそれだけの芸人ではない。その言葉選びのセンスは、関西系ツッコミとして同系統にあるブラックマヨネーズ小杉、フットボールアワー後藤をすでに凌いでいるかもしれない。

そのうえで、相方だからこそ踏み込める領域というのがたしかにある。「芸人をやっていなかったら何になりたかったか?」というリスナーの質問に対し、「海辺にサーフショップを開きたい」と答えた稲田に対し、「土左衛門と間違えられんで!」と容赦なく極北にある比喩を繰り出すこの鋭利な進入角度は、やはり共通理解のある相方でなければ不可能なアプローチだろう。

一方で、そうやってイジられ倒す稲田が窮鼠猫を噛む様子は「追い込まれ芸」の真骨頂である。これは逆に言えば、相方の河井による容赦なき「追い込み芸」とも言えるのだが、とにかく河井もアシスタントの中島静香も番組スタッフも、稲田を追い込むことにかけては手加減がない。番組全体が稲田に対する「無茶ぶり」になっているといっても過言ではない。

この番組において、稲田は番組名にある通り「ヒラメキ」という名のアドリブボケを終始求められ続ける立場にある。それはお笑いコンビのボケ担当なのだから当然といえば当然のことなのだが、この追い込まれるスピードの速さと、追い込まれた際に発動するリアクションの珍妙さは、毎度想定外にもほどがある。

しかしそれらは、普通の番組であれば一種の「ミス」として処理されるようなことばかり(台詞を噛んだり、タイミングを間違えたり、謎の機械音のような吐息を発したり)なのだが、それらすべての「ミス」が、河井の的確な状況説明によって、鮮やかに笑いへと変換されるというマジックが現出する。

稲田に対する河井のツッコミには、通常のお笑い的なツッコミよりも一段深く踏み込む部分がある。それは相手の言動だけでなく、「その背景にある思考回路にまでツッコむ」というもので、これをやると相手は完全に動きを封じられるのだが、それと引き替えにミスのプロセス全体がすっかり笑いに変わる。

これは具体例を出してもあまり面白さは伝わりにくいのだが、たとえばボケの人間が何か言葉を言い間違えた際に、単にその間違えを指摘するだけではたいした笑いにはならない。しかし、「本当はAと言おうと思ったのに途中で一瞬Bかもしれないと思って迷った挙げ句、ありもしないCという謎の言葉を発して慌てふためいてしまった」という思考回路をツッコミで的確にトレースできれば、その苦戦する脳内の動きも含めて受け手は面白いと感じる。

それはつまり、ボケる人の思考回路をどこまで想像できるか、という洞察力なのだと思う。特に河井の稲田に対する洞察力は凄まじいものがあり、その一挙手一投足を、稲田本人よりも遙かに上手く説明できてしまうという逆転現象が頻繁に起こる。

そして実はアシスタントの中島静香という人も、河井同等に稲田の思考回路を言い当ててしまうことがあって、彼女もまた稲田を「追い込んで生かす」というフォーメーションの中で非常に効いている。関西にはまだまだ凄腕の女性フリーアナウンサーがいるものだな、と改めて痛感する次第だが、逆に言うとすぐに思考回路を見抜かれてしまう稲田がおそろしく単純なだけかもしれない、と思わないでもない。

とにかく現状ですこぶる面白い番組なので、希望があるとすれば「なにひとつ改善しないでほしい」ということくらいである。大人ぶった人の中には、もっとシャープかつタイトにまとめて欲しいという向きもあるかもしれないが、そうなればいま持っている長所が引き替えになるのは目に見えているし、そもそも完成度を求めるのならばそれが出来る人は多い。とにかくこのまま突っ走ってほしい。

ちなみにこの番組、ポッドキャストで長めのダイジェストも配信されているので、まずはそちらからでも聴いてみることをおすすめする。番組の魅力を伝えようとしたら、思いのほか長くなった。それでもこの番組の魅力の十分の一も伝えられていない気がする。書き手がこれを言ってしまうと負けを認めたようになってしまうのだが、とにかく聴いてみてほしい。負けてもいい(何に?)ので、それだけは伝えたかった。


【『アインシュタインのヒラメキラジオ』(KBS京都)HP】
https://www.kbs-kyoto.co.jp/radio/hirameki/

【『アインシュタインのヒラメキラジオ』ポッドキャスト】
https://itunes.apple.com/jp/podcast/id1230041233?l=jp

【『日刊サイゾー』ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」第29回更新~『TENGA茶屋』~】
http://arsenal4.blog65.fc2.com/blog-entry-246.html

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『キョートリアル! コンニチ的チュートリアル』~「幼馴染み×地元局」という独特の磁場が引き出すその面白さは癒やし系~

面白さにもいろいろな面白さがあって、緊張感のある面白さもあれば癒やし系の面白さもある。もちろん他にも面白さの種類はいくらでもあるはずだが、大きくその二種類に分けるとするならば、前者は恋愛に、後者は結婚に喩えることができるのかもしれない。京都で生まれたチュートリアルの二人が地元で14年に渡って続けているラジオ番組『キョートリアル! コンニチ的チュートリアル』(KBS京都/毎週土曜22時~23時)が提供し続けている面白さとは、まさに理想の結婚がそうであるように、身近なようでありながらなかなか手に入らない類の、居心地のよい稀有な空気感であるような気がする。

しかしここには、チュートリアルの漫才やコントに見られるような、ソリッドな笑いが溢れているわけではない。そもそもこの番組、パーソナリティの二人自身が、番組内で何度も「この番組の何が面白いのかわからない」と発言しているくらいなのである。ではあの『M-1』で圧倒的な笑いを奪って優勝したチュートリアルとまったくの別物かといえば、もちろんそんなことはない。言ってみれば、「あの」チュートリアルと「この」チュートリアルの両者に共通する「チュートリアルの核のようなもの」を、なんでもないトークの端々から拾い集めることこそが、この『キョートリアル』を聴く最大の楽しみであるのかもしれない。

このラジオが放っている柔らかな空気感には、もちろん徳井と福田の人柄もさることながら、「幼馴染み×地元局」という独特の磁場が強く働いているように感じる。

お陰で番組内には二人の学生時代の友人や家族の名前が頻繁に登場し、京都をはじめ関西の地名が当然のようにポンポン出てくる。普通に考えればそれらは「内輪ウケ」と呼ばれても仕方のない要素だが、そんな話が仲間うちに向けて閉じているように感じられないのは、彼らがそれら身近な人々や土地の話を、自分たちだけの特別なものではなく、世の中に溢れている「普遍的な物事の一例」として話しているように聞こえるからなのだと思う。

だから二人が好きなバイクのマイナーな車種の話をしても、福田がMotoGPの若手ライダー、マーヴェリック・ヴィニャーレスの話をしても、徳井が飼っている猫の話をしても、つまりリスナーが特別興味を抱いていない個人的な趣味の話が延々と繰り広げられていても、最後まで心地よく聴けてしまうのである。

そしてそうやって身近な具体例を材料に、この世界の「当たりまえ」をあぶり出していくというのは、「笑い」というものの根本的なスタンスでもある。よく「笑いで世相を斬る」などと言うが、斬る以前に世の中の「当たりまえ」を正確に見極め、ためつすがめつ疑問視してみる視点こそが、笑いを生むために最も必要とされる能力なのではないか。

基本的には和やかな空気感の中で、互いの近況報告的なフリートークを中心に番組は進んでいくが、合間に挟まれるジングルがリスナーからのお題に答える大喜利形式になっており、そこで繰り出される徳井の解答が、毎度絶妙な余韻を残す。このジングルの部分が、漫才やコントのチュートリアルと、ラジオのチュートリアルをつなぐ役割を果たしているようでもある。

――と、ここまでつらつらと書きながらも、この番組の持つ独特な面白さを伝え切ることの難しさばかりを感じている。何しろやっている本人たちが「何が面白いのかわからない」と言っているくらいなのだから、それも当然のことなのかもしれない。そもそも簡単にわかる程度の面白さなど、さほど面白くはないわけで。

第一印象で恋に落ちるような、派手な番組ではない。しかし本当に面白い番組とは、この『キョートリアル』のように、いつまでもずっと聴いていたくなるような番組のことであり、これはまさに人生の伴侶となるような、なくなるととっても困る番組なのである。

『オールナイトニッポン0』新ラインナップ発表~『三四郎のANN0』継続への喜びと『ニューヨークのANN0』への期待~

本日、2016年春からの『オールナイトニッポン0』新ラインナップが発表された。月~金のパーソナリティの中で、お笑い芸人枠は木曜と金曜。木曜がニューヨークで、金曜は火曜から異動してきた三四郎が担当する。

昨年からはじまった三四郎はコンスタントに面白かったので、通常一年となっている「ZERO枠」異例の二年目突入も納得、というかこれは素直に嬉しい。このブログでも何度か書いてきたが、その独特な言語センスは間違いなく深夜ラジオに著しくフィットしている(そして三四郎は自称「著しく売れかけている」)。

いっぽうで木曜担当のニューヨークは、昨年4月の『オールナイトニッポンR』単発放送が非常に印象に残っており、実は密かに待ち望んでいた人選。

その『ANNR』では、「ラジオ好きの屋敷」と「ラジオを全然聴いてこなかった嶋佐」という対比が凄く効いていて、マニアにもラジオ初心者にも、どちらにも入口が開けていると感じた。「柔らかな関西弁の屋敷」と「ぶっきらぼうな標準語の嶋佐」という言語レベルでも見事に対比が効いており、二人のトークには、ある種楽器同士がぶつかり合うような、独特のグルーヴ感のようなものが渦巻いていた。

中でも、嶋佐が唐突にしはじめた「安居酒屋でイチャついていた老夫婦の話」が放っていた不条理感は格別で、個人的には起承転結などどこ吹く風の大胆な語り口にかなり期待している。

昨年12月にはTBSラジオで『ニューヨークの「この時間、アンテナ調整してるんだったらやらせてください」』という特番もやっており、こちらでは二人が学生時代、ともにヤンキーでもいじめられっ子でもない「1.5軍」的ポジションにいたという視点から、リスナーメールを交えての「スクールカースト」的トークを展開。端正なルックスのわりに微妙なポジションに甘んじていたという、おぎやはぎにも通じる「メジャーとマイナーの狭間」感は、深夜ラジオリスナーに間違いなく受け入れられるはずだ。

もちろん『アルコ&ピースのANN0』終了は哀しいし、「『ラブレターズのANN0』復活してくれよ!」という気持ちもあるが、まずは『三四郎のANN0』継続を喜び、『ニューヨークのANN0』を楽しみに待ちたいと思う。