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『日刊サイゾー』ラジオ批評連載コラム「逆にラジオ」第19回更新~『ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン』~

ラジオコラム第19回は、この4月から始まった『ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン』について。

【「笑いなき芸人ラジオ」という前代未聞の問題作『ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン』】
http://www.cyzo.com/2013/04/post_13058.html

この番組は、芸人のラジオでありながら「洋楽で世界を変えるラジオ番組」と謳っている。これはたしかに新しい。少なくとも新しく見える。

そのジャンルにおいて革新的なことは、隣接した他ジャンルから持ち込まれることが少なくない。たとえば音楽の歴史は、様々なジャンルの交配によって作られたという側面が確実にあって、後発になればなるほど、ジャンル内に「やり尽くされた感」が蔓延し、そうなるとジャンル外に突破口を見つけようとする動きはますます活発になっていく。そういう意味では、ジャンル外のものを取り入れるという行為を、単なる模倣と片づけることはできない。何を取り入れるかの選択センスも含めて、それはクリエイティブな行為の一部である。

だがここで厳密に判断しなくてはならないのは、「外部から何かを取り入れる」=「核心を失う」という本末転倒なことになってはならないということで、たとえば多くのバンドの中期以降の作品からは、時にそうやってアイデンティティを見失ったものが登場する。アーティストは常に、マンネリと変化の狭間で揺れ続けるという宿命を背負っているが、外部からの影響というものは、あくまでも核心を肉づけするために取り入れるものであって、結果として核心の強化へとつながらなければならない。音楽批評でよく言う、影響を「消化する」とか「咀嚼して血肉化する」ということの意味は、だから実のところいつも、「そのおかげで核心が強化されているかどうか」という結果論になる。

たとえば自分が映画ファンだったとして、そこにテレビゲームの影響を巧みに取り入れた作品が出てきたとする。それはたしかに革新的な作品で、世間には「まるでテレビゲームのようだ!」という評判が飛び交うだろう。しかしそれは果たして、褒め言葉なのだろうか。少なくともその映画を観て面白いと思った人たちは、単に「ゲームについて不勉強だった」ということにならないだろうか。たぶんその映画で感じた面白さは、ゲームの世界には当たり前のように普及しているのではないだろうか。少なくともその映画を面白いと感じた人は、すぐにゲーム機やゲーム雑誌を買いに走るべきだろう。

書店にはたくさんの音楽雑誌があって、ラジオにはたくさんの音楽番組がある。それらは基本的に、誰にでも読んだり聴いたりすることができる。つまり「ひらけている」。もちろん、それくらいでは「ひらけている」と感じられず、Amazonのようにグイグイ向こうから勧めてもらうのでないと、なかなか入口を見つけられないという人もだろう。本当はそういう受け身の姿勢すら怠慢であると言い切りたいところだが、どのジャンルにおいてもナビゲーター役になる人は必要で、たしかにそういった人がもたらしてくれる、まったく興味のないジャンルとの偶然の出会いが新たな趣味を切り拓くこともある。

大谷ノブ彦がやろうとしているのは、まさにそういったナビゲーター役だと思うのだが、だとすると当然、音楽雑誌や音楽番組とどう違うことができるのか、という話になる。今のところ「熱量」による勝負を挑んでいるように見えるが、当たり前だが熱量に溢れた音楽専門誌も音楽番組も、すでに存在している。音楽を好きな人が作る以上、そこに熱量があるのは、いわば前提条件である(無論その熱さの「質」は常に問われるが)。それはあらゆるお笑い芸人が、笑いに熱量を注いでいるように。勝負どころは間違いなくその先にこそあるはずで、ではそこに熱量以外の、笑い以外の何があるのか、と。

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